
災害時におけるインターネットの有用性が広く知られるようになったのは、一九九五年――日本でインターネットが普及し始めた当初――発生した阪神淡路大震災のときでした。
同被災地では、交通網が寸断され、電話網の輻輳により通話が困難となるなか、インターネットが安否確認や被災者向けの情報発信といった「通信インフラ」として機能したのです。
危機的な状況下で通信手段は重要な役割を担います。
まず被災時には、電気・ガス・水道といったライフラインは大きなダメージを被ることが予測され、さらには、ひじょうに多くの情報が集中・錯綜するため、電話や放送など従来型の通信手段では、十分な情報交換を行いづらくなります。
そのようなとき、俄然、力を発揮するのがインターネットで、その特質は、有線・無線問わず、さまざまなインフラ上に展開できる柔軟性を備えているうえに、互いに、そしてランダムに結ばれた「自律分散型ネットワーク」によって、副次的な迂回路が温存されるため、“局部的なダメージに強い”と言われています。

一九五七年――核戦争に対する脅威が日増しに加速するなか――突如行われた、ソ連の人工衛星打ち上げ、俗称“スプートニク・ショック”。
米国は、この事件を機に「高等研究計画局:ARPA(=
Advanced Research
Projects Agency)」を創設、このARPA主導のもとに行われたコンピュータネットワークに関する研究が、今日のインターネットの基礎を築いた……という話は、今日、あまねく知れ渡り、半ば伝説と化しています。
また、一九六一年に米国で起きた「電話中継基地爆破テロ」の際には、国防省の通話回線も一時完全停止したことから、電話という中央集権的な通信システムの弱点が強く問題視されるようになりました。
二つの場所、具体的に言うなら「軍事上の戦略拠点」を結んで、重要な連絡を取り交わす際、電話だと回線が占有中であったり、中継基地や伝送経路が破損していたりすると、通話が成り立たなくなります。
そこで考案された対策が、中枢を持たないネットワークを構築し、複数のルートのなかから搬送可能な一本を即時的に判断・選択して、データを目的地に届ける方法で、このシステムを「分散型コミュニケーションネットワーク」という研究論文にまとめたのが、ランド社の情報工学者ポール・バランでした。
そして、データを小さなブロックに分割し、そのブロックに番号と宛先をつけて送信、受信者が番号をもとにブロックを並べ直して、データを再現する――この「パケット交換(
=
Packet-switching )」の仕組みを考案したのが、MITのコンピュータ科学者レナード・クラインロックで、さらには、純粋に「通信の品質改善」という目的から出発し、前述の二人と同じ時期に、ほぼ同じ結論に到達した、イギリスの国立物理学研究所の物理学者ドナルド・デービスなど、いまを遡ること約半世紀前、天才的な技術者の発案によって「百年に一度の技術革新」が同時多発的に進行していきました。
特集2「被災支援とインターネット」に続きます。
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